自分には師匠と呼べる方が二人いる

具体的な名前は書かないけど

(たぶん書かなくても経歴から推測できるだろうけど)

一人目はもう完全にアカデミックの世界を引退したので

なかなか交流を取ることがなくなってしまったけど

二人目は本当にいつまでも師匠だなって感じる

博士論文の指導をしてくれた先生なのだけど

研究を進める上でしっかりと大きなビジョンを持っていて

論文1本1本のインパクトが大きい

昔からずっと「英語で論文を書きなさい」って指導を受けていて

最近になってその意味が少しずつ分かった気がする

昔は,大学教員としての就活を成功させるために

日本語でも,大学紀要でもいいから,論文を量産したほうがいいのでは?

と思っていたのだけれど,大学教員になった今,それはもう必要ではなく

今後はなるべく多くの人に読まれるような論文を発表したい

そうなるとやはり英語で発表したほうがいいのかなってなる

日本語論文だとおそらく読む人は多くの場合日本人に限定されるだろうし

それはそれでターゲットを絞っていて日本では有名になれそう

そういうやり方は全く否定しないし

むしろそれを突き詰めれば日本での第一人者にもなれるかと思う

だけど論文発表後から例えば自分がアカデミックの世界を引退するまでの

数十年の間にどのくらいの人に論文が読まれたか,被引用回数といった指標を

考えてしまうとやはり自分は英語論文派かなぁ

圧倒的に読者数が違う気がする

私の師匠はそういう意味でもちゃんと広いビジョンを持って

研究の仕方もとにかくthink bigだし

まだまだ見習うべき点は多い

それから英語がとにかくキレイすぎる

自分も英語教員をやっていてある程度は使えるようになったけど

師匠の英語を見ると圧倒的な差を感じる

でも一番の問題は・・・

次にやりたい研究がまだ定まっていない・・・

今年度中には何かしないと・・・

来年のマレーシア出張(アジア社会心理学会)のためってわけではないけど

何かしらデータを集めなきゃ・・・